hwb work diary 2007.12



12/28
今日で仕事おさめ。

展示家具を移動し、ワックスメンテナンスをする。

年々、アピトンと赤松の床は、日々の靴での歩行による摩擦と、年一回のワックスメンテナンスによって、確実に味わい深いものになってきている。


家具の移動によって、何もなくなった空間は、想像力をかきたてるピュアな空気感を感じる。

僕は想像を止めない。




12/27
04椅子の試作品。形は完成したものの、ある程度の時間が過ぎてみないと、これがどうなのか判断できないのが、道具としての家具作りである。


ゴールはなさそうで、一点のみあるのだ。





12/26
下駄箱の納品のため、車に入れようとしたが、入らない。

しょうがないので、歩いて納品に行くこととなった。
近所で良かった、、、。

でも、なぜかしら、心が温まるような納品であった。



12/23
03ダイニングテーブルと03チェアを、梱包し送る。

東京にお住まいのお客さんである。

一度、来店されお会いしている。

専門の運送業者に委託してる。2人運んで、開梱までしてくれるので安心である。




12/22
ソウタ。

スタッフになり、もうすぐ5年となる。
ここ2年くらいは、仕事もできるようになり、頼もしい存在である。
春になったら地元高知県に帰り独立へ。

ソウタとは、家具のこと、仕事のこと、それらを含め深く、話をしてきたと思う。
たくさんの経験が、今後の彼を、より大きくしてくれると思う。

残念なことは仕事ができるようになった頃に、独立というサイクルである、、、。
ある意味何のために教えてきたのか?と無意味に感じる時もある。
その答えに、納得できる奇麗な回答が一つだけある。

それは「親ごごろ」である。



12/20
収納に困り、依頼を頂くというケースもある。ここにクローゼットが欲しい。でも既製品では、サイズが合わない。デザインも突然的な驚きのごとく調和のとれなさそうなものしかない。なんとか家の雰囲気に合わせて、収納を増やしたいという願いである。
実際に生活されている場なので、求めている道具の意味はとても理解でき、「なんとかしてみよう」となる訳である。
機能面は、もちろんクリアーし、姿を考える。そこに、せめぎ合いが生じる。
大切にしていることは、家具が入る事によって生活が楽になり、楽しくなる。そしてその部屋の質を高めることである。

実際、オーダーメイドの提案した家具は、その家にはとても似合うように考えてきた。
逆に、違う家に置くと似合わないものもあると思う。

肝心なのは、サイズと大まかな構造の選択を、間違えない事である。



12/13
オープンハウス前の宇野さんの現場。

キッチンの残っていた仕事をしに行く。キッチン背面の大きな建具の収納。
このトビラ用となったはめ板。木柄を合わせ板にしたのを思い出す。こうやって住宅に収まっているのを想像しながら、作った。

トビラが並んでいる順番、上下、裏表。だから、これしかないという絵が、僕にはある。

左から右へ、下から上へ、重いから軽いへ。アピールするための木柄ではなく、自然なものが自然に落ち着く様に、自然のルールに従っていく。

僕が知っている限り、宇野さんの建築は、僕のような仕事をする作り手によって出来上がっているので、建築としての生命力がその分違うような気がする。
くせのある職人を同じ方向に向かせ「がんばろう」と思わせてくれるのは宇野さんである。




12/12
ミッチー。

仕事が遅くてスイマセンと言い、「はやく仕事ができるようになって貢献したい」と思ってくれている。
そう言ってくれている時点で既に、貢献しているのだ。


あのさー。結局、ハートがハートにやられるんだよねー。
怒ったりさー、悲しんだりさー、喜んだり。

傷つきたくないからクールに装ったりさー。
大切なのは魂の声だー。




12/11
最近、家具の事をより意識するようになった。というのもヘンだが。
住宅というフィールドの中で、人が使う時、どんなものが良いのか。いろいろと考える。
こんなに毎日、数十年家具の事ばかりを想っている人もめずらしいだろう。の、わりには何かに近づく訳でもなく、出口はない。
今までの経験で、収納家具のサイズや機能的な収まりのノウハウはあり、そういう部分では、「こうすると良いでしょう」とハッキリ分かる事も多い。たくさんの回答を持っている。その中でベストをつくす。
ただ、そうではなくて、僕の中での「潤う」という部分への家具作りの欲求が強くなってきている。
「潤う」とはどういう事か、、。

いろいろ思考はめぐる。新しいものを探ったとしても、骨格としては板組や框組で、表面としては、結局トビラや抽き出しな訳だ。木を素材にするという不思議な条件は僕の中で絶対である。他の素材の力を借りる事はあるものの、木である。

じゃあ、家具を感じる瞬間とは?。それは、トビラや抽き出しが付き、一つの道具ができた時だ。トビラを開け、「中に何を収納しようかあ、、」とうれしくなる。まるで新品のスケッチブックを手に入れたように自由である。
「家具っていいよなあ」と心の底から思うのだ。
スケッチブックとするなら、単純な構成で、きちんと仕事がしてある事だけで十分と思えてくる。
箱に、トビラや抽き出しがあるべき場所にある。それらが、使いやすくちょうど良い大きさである。
家具は家具としての形をしていれば良い。機能から構成された誠実な家具となる。外さなければ、間違いなく良くなる。わかっている。


僕が「潤い」の部分に問いかけるような家具を作るとしたら、、、。
たぶん、使いにくさも、愛おしく思えるような家具だと思う。



12/8
建築研究所の肌色の山田さんが設計した住宅が[すまいる愛知住宅賞]を受賞されたそうで、家具を作らせて頂いた僕としては、とてもうれしい。


今日の夜は関係者のパーティーという事で、一年ぶりにお客さんとその住まいに再会できるので、とても楽しみである。



12/7
今年の春から、うちの工房で修行の日々を過ごしているスタッフの一人シバチャンだ。
本当に一生懸命がんばっている。
物作りというものは、地道に一歩一歩しか成長していけないからして、くすぐったいし、面白い。

彼には、なんとなしに、生き抜く力というべきか、根性というべきか、ハートというべか、、、そういう素質を感じる。
頼もしい癒しキャラなんだな。なんか怒れないんだよなあ、この顔見てると。

そういう温かいスタッフでないと、良い物作りはできないなあと痛感するばかりである。



12/4
03ダイニングの脚。クルミ材の2100サイズと大きい。

1800サイズから大きくなった分、部材一つ一つのサイズまで見直しながら、バランスを整えていく。手間な事だけど、とても意味のある作業だ。
とても人間らしい暖かな仕事だと思っているし、そういう親切さは、何せよあると嬉しいもんである。


作り手の判断しだいで、より良くなるものだ。でなければ、人が考えながら、作る意味がない。



12/3
ナラ材の下駄箱である。ほぼ完成した。
上下にわかれた、引き違いのトビラである。内部は棚板収納になっている。


生活に収納はどうしても必要である。


とにかく、ごちゃごちゃをスッキリさせるために、トビラという目隠しは必要だね。

僕のオーダーメイド家具の提案は、その空間に合うように、要望を形にするというものだ。



12/1
12月だ。えっもうですか?
と、いう感じである。

日々、年齢を重ねていき、どんな家具をこれから創っていこうが、根本の部分は同じである。

考えて作るという、物作り。


HOLLY WOOD BUDDY FURNITURE TOP PAGE