工房では、木取り作業が重なってきた為、少し窮屈である。
家具職人として、決めた事は貫く意志は待っている。
自分として負けたくない。それは、自分自身が一生懸命でいる状態でないと、とたんにつまらない時間になるからである。
要するに、日々の仕事を楽しくするための、あえて自分自身に課せているストレスでもある。
もちろん、目標として将来の夢は描くが、実際は夢を想像するだけでは、目標が持てただけに過ぎず、少しも物理的な進展はとは言えない。
大切にしているのは、坦々とした日々の積み重ねである。余計な事は考えず、黙々と目の前にある事に取り組み続け、その一日一日を本当に一生懸命勝負していくしか、想像の未来の自分には追いつけやしない。
少なくとも僕の場合はそうである。
日々の正直な気持ちをつづる日記は、大切な日課である。目標を持っている後輩などに勧めても、他人の話ぐらいにしか思ってないのか、自分のために実践するものはいない。要するに僕には日記というものが合っているという事だろうか?
たぶん僕は、要領の良さや人生のテクニックや成功の作戦などとは縁がなく、がむしゃらに自分の道を作っていく事しかできないと思っている。
今までを振り返るとそうである。縁がある事といえば、努力の成果による物ばかりだ。
そんな事を考えるのもスタッフのタスクが辞める事になったからかも知れない。
12月で辞めるタスク本人は、その日々が辛いと言う。誰でもできる仕事ではないだけに、その判断はむずかしい。実際タスクには、「そんなモチベーションでは、いっしょに仕事できん!」と何度も言ってきている。彼は技術的な事を理由にあげるが、僕が気になるのはむしろ、その背景の部分である。技術の事、気持ちの事、体の事、何れにせよ強い信念がなければ、為し遂げるのは、難しいだろう。
僕が彼に感じるのは、「木工で生涯生きていくという覚悟ができていないのでは?」という事だ。
努力していただけに、覚悟が足りなかったんではないかと思って止まない。ただ、僕の経験でいうならば、結果以上に努力してきたという過程こそ、自分の貴重な財産になっていくはずだ。
先日、僕の尊敬する人との話の中で、「いい訳なんて必要ない、そんな事はお客さんには関係ない」と話が出た。まさにそう思う。「やるのかやらないのか」とにかく、始まっている以上覚悟を決めるべきである。もっと言うなら「もう始まっているからには、やるしかない」のだ。一件クールな会話であるが、ものすごく熱意のある言葉である。
スタッフのシュウヤについても、同じような悩みを抱えている。得意不得意があって、その人が一番輝ける仕事に就いてもらいたいと心からそう思う。
人生を捧げる仕事なだけに、いろんな意味で生涯レベルで考えてもらいたいものだ。
人生の先輩から、職人には定年がないと聞いてきた。それは素晴らしい事だと思った。それを認識した頃から僕は、本気になったような気がする。
来年で5年目となるソウタ。今では、僕のよきパートナーである。3年前にお店作りも手伝っている。この4年間、ソウタも並々ならぬ努力をしてきたからこそではあるが、ここまで物作り感覚を共感できるような相手はめずらしいと思う。まだ若いが彼も本気である。
僕らの家具作りには、ゴールがない。だから、ゴールまでの地図は必要ではない。
僕の家具作りには、ともに切磋琢磨できる仕事仲間や、それをいつか評価してくれるかもしれない人達の存在を大切にしているし、これからも変わらないであろう。
僕であろうが僕らであろうが。 |