Miyazima Hiroyoshi Furniture Studio
家具に込めたいこと
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私の家具はづくりは、私の自己表現の手段ではありません。
私の作る家具には、ある思いが込められています。
それは、使う人たちが幸せになってほしいというちょっとした願いです。
それは音のない音楽なのかもそれません。文字のない手紙なのかもそれません。
幸せのイメージが形になったものです。
どこにでもあるような日常の風景は、過去も未来も、私たちの日々そのものだと思います。
私も何度もそういうモノに救われ勇気づけられてきました。大切なひとからの手紙だったり、痕跡だったり。私はそういう事を暖め大切にしていきたいと思っています。
2009.12.25
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家具を作るということ
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コンビニエンスストアは便利で私も良く利用します。おにぎりを買って、車中で食べることもあります。
先日、お米屋さんのおにぎりを食べました。とても美味しかったです。
量販店などで売られている有名な銘柄のお米よりも、親戚から譲って頂く無名の新米のほうが確実に美味しいです。おにぎりは格別です。
家具を作りながら、途中で判断し加えたり引いたりと加減をしていきます。
その加減あってこそ、「作る」ということではないでしょうか。
自然素材を扱うならば、尚更です。
同じものがなく不均一な素材を人が判断しながら作らないなんて、私には恐ろしくて考えられません。まして奇跡のような美しい部分さえ見逃してしまうなんて残念でしょうがありません。
材料といっても、板がある訳でも、角材がある訳でも、丸棒がある訳でもありません。あるのはだいたいの厚みで製材された木です。そこから切り出し削りだし、椅子や机に仕立てていくのです。
作るということは、例えるならジャズのライブようなものです。
その時々の一期一会の出来事の中で生まれた家具は、奇跡のような美しさを、内面にもっているのだと思いっています。
2009.11.29
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家具の色は、素材のそのものの色
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草木染めというものがあります。自然界の色で染める技法であります。
自然素材の色は、まさにその命が色となって私たちに与えてくれる一つの恵みだと言えます。美しく染められた糸や布を見ると、つい手にとり、触りたくなってしまいます。「気持ち良さそう」と心で思います。それはおそらく、私たち人間の本能が求めているからではないでしょうか。私たち人間が本来求めている人間らしさや生命らしさは、成長とともにフィルタがかかっていってしまい、心の根底では感じていても気づけなくなってしまうそうです。
私自身、家具に染色を試みたことは、何度かあります。結果は、惨敗です。木、本来の色が隠れてしまいます。悪くないというレベル止まりです。素材が中から放つ生命の色彩と光の反射や吸収で美しいと思える訳ですから、単に色というカテゴリーの問題ではないことに気づかされます。
では、木肌の美しさは、清潔に保たなければ失われるかと言えば、単純にそうとは思えません。例えば外部に用いた場合、木はだんだんと彩度がなくなり、シルバーになっていきます。それは、白黒写真の様なリアリティーさえ感じます。
家の中で家具として使っている場合、なかなかシルバーにはなりません。素材本来の生命の色は持続します。外部に用いたものでも、シルバーになっているのは、ほんの表面だけで少し削れば鮮やかな色が溢れるように出てきます。色とシルバーが共鳴した美しい状態の家具を連想して下さい。
美しいと思えたならば、木の家具のもう一つの側面をお話ししたいと思います。
2009.11.26
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家具の依頼を受けて
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ご依頼頂いた家具の設計に、半年以上も練り続けてもさらに熟成期間を設ける場合もあります。また逆に、すぐに確信に至る時もあります。
タイミングと内容によりますが、計画性だけでは結果が出せないからです。
もちろん、依頼頂いた瞬間から、機能的な条件をもとに、家具の骨格を構築し始めます。
同時に、空気感というべきかその家具の放つイメージをぼんやりと空想し始めます。(おそらくそれは家具の性格のようなものだと思っています。)
私にとって、ともに必要なプロセスです。
朝、目が覚めると、大切なヒントが見つかっていることは多いです。むしろ、無計画な場合に素直な形で表れてくれます。困ったものです。
家具が置かれる空間が、どういう環境なのか(条件なのか)を理解することから始めます。
その家具に求められる機能はもちろんですが、使う相手は心を持った人間ですから、心に響くような家具であるように、願いながら考えています。言うのは簡単ですが、それを実際の物にするのは、とても難しいことでもあります。だから、時間がかかってしまうという結果になってしまいます。
ご相談頂いている30件以上の家具を、順番どうり考えれないこともあります。何度も練り直すこともあります。試作をする場合もあります。図面すら必要のない時もあります。
製作に入ってからも、検討し続けます。目で見て判断し、指先の目でも判断します。むしろ、そこでしか見えてこない部分があります。心と感覚を研ぎすませ、素直に喜べると、ようやく一つの家具の完成に向います。
全ては、結果を出すために必要なことです。
2009.11.11
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内面 |
こんな夢を見ました。まるで、ここ2、3日のどこかで行った現実の事のようにです。
無作為に手に取った切り出し(切り出しナイフ)が、予想以上にサクサクと切削できる。30センチ程の大きさの靴のような形をした木材の先端を、削りだしている。部材の接合部の木目を注意しながら、慎重にかつ大胆に粗彫りして行く。有機的な形である。フォルフの設計図があるわけでもないので、2、3度切削しては、その都度、左手の指先で確かめる。材料はとても乾いている。が、多少の湿度も指先に感じる。
無作為に選んだ切り出しで、快く削りだして行く。なめらかにするのか、多面体でフィニッシュするのか決めていない。調子がのってきた。が、油断は禁物である。少し先走ってしまった。慎重さを欠いた瞬間に、刃物を深く入れすぎた。このままの投入角度だと、必要以上に削れてしまう。嫌、それどころか木が先割れをする。刃物を握る右手の力を抜き、流す。流しきれず、そのベクトルは修正できたものの、深入りしている。これでは、木が成りたい形ではなく、木が私の狡さに逆らって成ってしまった形である。
そして一つ失敗をし、その中編のことを深く認識した。
急に思い立って、その続きをしたくなったものの、それが夢だったと確信するまで、相当時間がかかりました。
2009.10.25
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「宮嶋浩嘉の作る家具展」を終えて
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おかげさまで、展示会を開催し、終えることができました。ありがとうございました。
終了後は、余韻が続き、報告も今日になってしまいました。
今回の展示会は、400人あまりの方が脚を運んで頂きました。そのほとんどの方が、今までの家具作りを通じて知り合った方ばかりで、出会いと人に、感謝する展示会でありました。
私の新たな家具作りは既に始まっております。
今後ともやさしく厳しく応援して頂けれることを願いつつ、修行を続けていきたいと思います。
2009.10.24
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「宮嶋浩嘉の作る家具展」を迎えるにあたって |
私の工房では、全ての家具を受注生産で一つ一つ手作りで製作しております。
一つ一つ手で触り、素材を確かめるように丁寧に家具を作っております。期待以上に素敵な家具を作りたいと、毎回、悩み一つ一つそれぞれの家具を生み出してきました。おかげさまで、10年という月日が経過し、信頼と実績を積み重ねてこれたことに、深く感謝を致しております。
そして、短いようで長い10年が過ぎた現在も、期待や信頼に、より一層深く答えようと努力しております。そういった中、私自身の心境としましては、責任感の重みを感じる一方で、不思議ととても軽やかであるのも事実であります。
経験を重ねれば重ねる程、素材の魅力とその重要性を感じて止みません。また、造形、機能ともに最重要として基本要素とし、素材の特性(恵み)を利用できないかと、希望を抱き、取り入れる努力をしております。
この度、個展を開催するにあたり、コンセプトとして「感覚の記憶」として思い抱きました。
造形、機能は重要としているものの、むしろそれ以上に「素材の特性」を記憶に残したい。それが展示会のコンセプトであり、今後の私の家具作りの重要な要素であることは確かであります。
展示会に足を運んで頂けるみなさまに限っては、ぜひ、その素材に触れ、そのリアリティーを確かめて頂けることを願っております。
とはいえ、何より気軽に見に来て頂ければ幸いです。
2009.10.13
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コラムを始めるにあたって |
おかげさまで、家具工房を設立してから10年が経過致しました。
今後も、生活に潤いをプラスできるような家具を提供できるように、今まで以上に努力していきたいと強く思っております。私の作る家具で、少しでも幸せになって頂けるように、「生活」を楽しみ考え続けたいと思います。
今後はコラムとして新たに始めたいと思っております。今後ともよろしくお願い致します。
家具工房主宰 宮嶋 浩嘉 2009.10.12 |
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HOLLY WOOD BUDDY FURNITURE TOP PAGE
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